お盆のなすときゅうりの意味にかこつけて、何かと思うところを書きとめました。
個人的な思いを書きますので、興味なければスルーしてください。
このお盆に作るなすときゅうりを精霊馬とか精霊牛とかいうらしいです。
写真は今年、新盆(母です)で家で作ったものです。
私の住んでいる土地では、きゅうり(馬)に乗って早く帰ってきて、帰りは牛なので、のんびりと帰ると言われています。
昔は、農業以外の産業がほとんどない土地であったので、お祭りもそうですけど、「盆と正月が一緒に来たようだ」というのは、この上ない幸福な状態をさして言っているのだと思います。
また今はスーパーで買うと、キュウリもナスも驚くほど高いですが、幸い知り合いの方や親戚から頂けるので、とても助かっています。
どちらにしても、基本の野菜であるキュウリ、ナスが手に入りやすく、馬や牛という、かつては身近にいた家畜が乗り物としてとらえられて、こうした風習ができたのかなと思います。
というのは、仏教には生き返る(キリスト教でいえば復活)といった概念はもともとなかったと思うし、偶像(仏像もそうです)を釈迦は明確に禁じていたはずなので、そうはいっても、苦しい生活のなかから生まれたユーモアのある風習なのかなと今では思っています。
それにしても、この8月というのは、日本人にとって本当に印象的な月なのではないでしょうか。
私が8月といって思い浮かぶものをならべても、
・ 原爆投下
・ 終戦
・ 甲子園
・ 御巣鷹山
そしてお盆ということになります。
また井上陽水さんの「夏が過ぎ風あざみ」の少年時代、吉田拓郎さんの「きれいな先生どこいった」の夏休み、「ざわわざわわ」の森山良子さんのさとうきび畑など、いい歌がたくさんあります。
お、それとお盆といえば、さだまさしさんの「精霊流し」を忘れてはいけませんね。
思うに、じりじりと照りつける強烈な太陽とか、海や山での異性との出会いだとか、脳に深く刻まれる印象が起こりやすい季節なのだと思います。
だから私は、このお盆にきゅうりとなすを飾る行事も大切にしたいと考えています。
さきほど、新盆ということで、葬儀を出してくれた葬儀屋の方がお見えになり、孤独死なさってやっと葬式を出した話とかになったのですが、年配の方での不幸も他人事でなく多いし、また中学・高校ぐらいに年代の子供たちで社会に適応できないで、優秀なのに落ちていってしまう話などがありました。
いろんな理由があるのだと思いますが、しかし人間は一人では生きていけない生き物であるという事もまた事実です。
すこしでも私が関わった人に対しては、優しい気持ちで接し、その人のためになることを少しでも考え実行できればなどと生意気なことを考えてしまいました。
また、お盆では高速道路の渋滞の情報が多く入ってきます。
自動車という狭い空間のなかに押し込められたイライラとかはわかりますが、もしも一緒に乗っている家族がいるのであれば、普段できない会話をたくさんすることだって可能なはずです。
会話が楽しければ、渋滞なんて時間もあまり長く感じられないかもしれません。
できればそんな風に、状況の変化で必ずしも渋滞=悪ではないととらえる気持ちを持つことが出来ればいいのではないかと思います。
話題がなかったら、このお盆のきゅうりとなすの話をしてみてはいかがでしょうか。
結論をいうのではなく、どうしてこうした風習があるのか、どう思うかとか、家でも作ってみようとか。
話題なんてどこにだってあるのですから、お父さんお母さんもスマホや仕事を離れて、家族やパートナーを大切になさると、そこに幸せがあるだろうと思います。
最後に、私はオリーブが大好きで、自分でも小さいながら4本ほど育てています。
まだまだ先だけど、大樹になる姿を夢見ているんです。
そんなオリーブから作った保湿クリームをご紹介しますね。
お盆のきゅうりとなすは、御用済みになったら塩をかけて捨てるしかないのです。
もちろん食べたりできません。
それはちょっと悲しいので、せめてきれいな手で最後のお世話をしてあげてくださいね。
お読みいただきありがとうございました。
20170813 by okkochaan